2015年5月15日金曜日

❻子供の障害者手帳を手に東京ディズニーランドへ出かけてみたら…

シンデレラ城(東京ディズニーランド)























東京ディズニーランドの

ゲストアシスタントカードって?


東京ディズニーランドには障害者割引は
無いが、障害者をサポートしてくれる夢の
国の夢のようなカード

それが『ゲストアシスタントカード』


東京ディズニーランドを運営する
『オリエンタルランド』の経営理念が
全ての人に笑顔を届けるため
障害者を特別扱いしないが
全ての人に変わりないサービスを
提供するために生み出されたらしい



障害者手帳を入り口付近にある
ゲストハウス・インフォーメーションで
障害者手帳を提示すると受け取れる
「ゲストアシスタントカード」

このゲストアシスタントカードと
ファストパスの上手な組み合わせで
あのディズニーランドを待ち時間無し
で楽しめる夢のようなカードがあるらし
いと、出生届と同時に市役所に申請した
子供の障害者手帳を手にし「自分の子
が障害者か…。」と落ち込んでいた時
障害者手帳で出来る事を楽しんだ方が
良いよと知人からアドバイスを受けた。

じゃあ落ち込んでないで楽しい夢の国
を障害者手帳で楽しもう

そんな思いで初めて障害者手帳を手に
出掛けた夢の国「ディズニーランド」

東京ディズニーランドのキャストの最初
の言葉に腹を立てていた自分がいまし
た。

「車イスのご利用はございますか?」

というマニュアル通りの言葉に対して、

(私の子供は難聴なんだぞ、子供の耳
についた補聴器がこの人には見えない
のか?難聴の子供に車イスは関係ない
だろう?)

自分は先天性難聴の障害者の子供を
抱えて大変なんだぞという上から目線
であった自分がいたような気がします。

ここまでお読み頂いた方には障害者の
親はなんて心の狭い人なんだと思われ
た人もいると思います。

ここからは、そんな自分勝手な思考から
あの東京ディズニーランドですら、楽しめ
なかった私の体験から、どう前向きに生
きるようになったかを書かせて頂きます。






ゲストアシスタントカードを手にする事で、
東京ディズニーランドを楽しめると思って
いましたが、実際は全然楽しめませんで
した。

「ゲストアシスタントカード」を提示する
たびに、私の子供は障害者なんだとい
う暗い気持ちになり、このゲストアシス
タントカードは残酷なアイテムなんだろう
と思っていました。

キャストの方にカードを提示するたびに
「車イスのご利用はございますか?」

「うちの子は難聴なので」と答えると

「スピーカーに近い席にご案内します」

その席に案内されながら感じたのは
ゲストアシスタントカードを利用する優越
感ではなく、障害者と言う劣等感とも思え
る複雑な気持ちでした。

行列に並ぶ人達の偏見に満ちた視線も
もっともっと気になりました

難聴を気にして下を向いて歩き…

後ろ向きな事ばかり考え…

周囲の優しさにも気付けず…

周囲を批判するばかりで…

ネガティブ思考に陥っていました

でもそうやって落ち込んで暗い気持ち
になり、子供の聴覚障害の事ばかり
考え考え続け

このままでは前に進めない

前に向かって人生を進めなければと

そう気づいた時



『車イスの利用の有無』を尋ねられたのも

相手の優しさだったんだ…



『何かお手伝いする事があれば
 お声をおかけください』と言うのも

自分で何とか前向きに生きようとしている人に
必要以上の手助けは逆に傷つく事に気付いた






障害者手帳を手にすることで
障害者のレッテルを貼られ
周囲の人が何でも手助けしてくれる

ゲストアシスタントカードを手にすることで
障害者として特別扱いをされ
東京ディズニーランドのキャストが
自分たちに何でもしてくれる


そう思っていたのは間違いだった…


障害者手帳を手にする事でそれを利用して
ただ楽をして生きていくためのものでなく
周囲の方へ手助けをより分かりやすく
お知らせするためのもので

あの夢の国「東京ディズニーランド」
でさえ楽しめない時期があり、落ち込み
悩み苦しんだおかげで

今では周囲の人の気持ちがより深く
理解出来るようになった気がします


2015年5月2日土曜日

❺【先天性難聴】を医者から告げられまず行動したこと

補聴器(シーメンス)























【先天性難聴】を医者から告げられ

まず行動した事とは…


今思い出しただけでも恥ずかしい限りですが…

まず一番初めにやった事は『夫婦喧嘩』でした


妻は妊娠中の私を責め
僕は妊娠中の妻を責め
お互いがお互いを責め合いました


妻『あなたが妊娠中に朝まで飲み歩いて
  たからでしょ?』
僕『飲み歩いてたからではない仕事だ!!』


僕『お前こそ妊娠中に風邪薬でも
  飲んだんだろ?』
妻『薬なんか一滴も飲んでません…』

気付けば病院のロビーで我が子
そっちのけで夫婦喧嘩をしていました…

今考えれば本当に馬鹿な行動でした

だけどその時の僕には精神的な余裕
など全くなかったのです

産まれたての我が子に対して
【先天性難聴】を告げられる親の立場

そんな事全く予想もしていなかったし
どう行動すれば良いのか?
全く分かりませんでした

気が動転していたと言われれば
そうですし

冷静に子供のためにまず行動!
と思うことすら頭にありませんでした

夫婦喧嘩をして何か解決する事も無く
前に進めるわけでもなく

ただただお互いの過去の行動を責め合った
だけでした…






そして深く落ち込み…

どうしてよいのか分からず途方に暮れ…

真っ暗な深い闇の中に放り込まれた

その真っ暗な深い闇の中で
強く激しい雨に打たれ

それは止むことのない土砂降りの雨
のようでした


深い暗闇の中の止まない土砂降りの雨


そこから二度と這い上がれないのでは
ないかと思うような深い闇の中




僕の自分自身の人生の中でも経験した事
のない最悪な状況でした





そこから人と話す事が大好きだった僕が
人と話す事が苦手というか
なんて言えばよいのか?想像も出来なくなり…


無気力



出来ればこの世の中から消えてしまいたい
本気でそんな事を思っていました…


自分が生きている意味って何?
そんな事を本気で考えた事は
今まで無かったんだってその時
初めて感じました…


でも何かやらなければならない…


とにかくできる事
目の前の事をやっていこう


そう思い先の見えない闇の中を
自分が進む足元の一歩分だけ

その一歩分だけを
せめて踏み出して行こう!!

いや目の前の一歩しか踏み出せなかった
のかもしれません

がとにかく前には進まなければいけない

そう思って何とか

暗く沈んだ自分の気持ちを
何とか前に進もうともがいていたのもしれない

今となっては
そう思います…





しかし現実では一人になると
知らない間に涙が流れていました

【先天性難聴】ですと告げられた瞬間が
何度も何度も頭の中を駆け巡りましたし


一人になるとそのことばかり考え

人生で人と一緒にいない
一人の時間がこんなにあるもんだな
とつくづく感じるようになりましたし


一人になって子供の難聴の事を考えると
何故か気付くと頬を涙が伝っていた

そんな事が何度かありました



自分の枕も何度か濡れました…






そして一人では無い時間

とくに夫婦で過ごす時間

目の前の本当に大事な時期に
協力し合わなければいけない人間とは
ケンカばかりしていました


そんな事ではいけなかったけど
現実はいうほど簡単ではありませんでした







障害者手帳

出生届と一緒に障害者手帳の申請を

したような気がします

その頃の記憶が今でも本当にありません…

家に自分の子供の障害者手帳があったので
たぶん障害者手帳の手続きはしたんだと思います…

どうやって申請したのか?
思い出せませんが子供の為の障害者手帳の手続き
は色々な意味で必要な事でした



紹介された施設への見学

病院から紹介された聴覚障害児に特化した
教育施設を見学に行きました

その時の様子はまた後でまとめておきます




2015年5月1日金曜日

障害者サッカーの中の難聴・ろう者サッカーのニュース!!

ヤフーニュースより





















デフサッカーの記事がヤフーニュースへ!!

あまり紹介される事の少ないデフサッカー
いわゆる耳の不自由な人のサッカー
2015年5月1日
ヤフーニュースで紹介されました。


これからも応援します。