2015年4月9日木曜日

➍産まれたばかりの赤ちゃんに一番必要だった物とは…

補聴器













赤ちゃんに必要だった物とは…?




紙おむつ
肌着
哺乳瓶
ベビーカー
ベビーベッド
チャイルドシート
etc…

一般的に赤ちゃんに必要な物と言えば
こんな物が頭に浮かびます



しかし僕の場合は補聴器でした
しかも最優先で必要な物でした…


赤ちゃんに必要な物を思い浮かべた時
補聴器が必要になる事は全く想定外



しかし…


大学病院で検査の後
医師の口から出たのは

『まずは補聴器をつけて様子を見ましょう』


補聴器…?

身近な人で補聴器を持っている人を
思い浮かべてみたけど

知り合いに補聴器を常用している人は
思い浮かびませんでした


まさに青天の霹靂


比較的 子供の頃から健康優良児だった僕

なんで僕の子供が…?

失礼ながらその時の僕はそんな気持ちでした











赤ちゃんに補聴器は必要なの?



まず思ったのはそんな疑問でした

産まれたばかりの検査で
『先天性難聴』と告知されたばかりで
『先天性難聴』って何なのか?
『先天性難聴』にどう向き合うのか?
何もわからぬまま

まず補聴器が必要だと言われ
それがすぐに受け入れられるか?

考える余裕もなく必要でした




視力が悪くてメガネをかけている人は
たくさんいる

聴力が悪くて補聴器をつけている人は
あまり聴いたことがない

メガネをかける事が恥ずかしければ
コンタクトレンズという手段も選べる

しかし聴力が悪い人には補聴器以外
選ぶことが出来ない

補聴器の広告に『目立たない』と
書いてある


赤ちゃんが補聴器をつけていたら
どうだろうか?

目立たない訳がないじゃないか


老化で耳が遠くなった老人は
補聴器を装用する事を嫌がるのは
聞いたことがある

耳が遠い老人だって補聴器を

嫌がるのだから

赤ちゃんだって補聴器を嫌がる
のではないか?



病院側から
『だから今すぐ補聴器を付けさせなければ
 ならないのです』

という説明に妙に説得力があった



補聴器を付けていることが当たり前で
その事に慣れさせるため
なるべく早く補聴器を装用さえなければ
いけないのは親の責任であると痛感した






補聴器っていくら位するの?


全く知識のなかった僕は5,000円?
いっても1~2万円くらいだろうと思っていた

しかし大学病院で教えられたのは
市販のメガネ店などで扱っている補聴器は
単なる集音器である事実

聞こえている人の聞こえを補助する程度の品
であるという事


産まれつき難聴の子供には必要なのは
きちんとした補聴器が必要だという事



両耳に付けるためには軽自動車一台分

同じくらいの値段にびっくり!!




50万円する幼児向けの英語教材セット
訪問販売の女性にパンフレットを見せられて
『お子さんの為にいかがですか?』


という問いかけではなく…


『お子さんのために必要な物です』



と言い切られた時の驚き


僕に選択権はないんだ

買うか?買わないか?

じゃなく子供のために必要な物

紙おむつ
肌着
哺乳瓶
ベビーカー
ベビーベッド
チャイルドシート
etc…

ここに補聴器も加わった




補聴器を買うか?買わないか?
は選べなかったが…

その時の僕に唯一選択権があったのは

一括払いか?分割払いか?
だけだった…




注文した補聴器が届くまでは
病院にあるレンタル品をお借りした

なるべく早く補聴器を赤ちゃんに装着させ
補聴器を嫌がる前に補聴器を付けている
状態が当たり前にしてあげる事

親が子のためにできる事はなんでもしてやる
親としては当たり前の事を僕もやっただけ





その時知った

子供が難聴と知った瞬間から
今まで生きてきた全ての感覚
全ての常識がまるっきり変化する事…


その時の僕には
まだその変化についていける程の
余裕は全くなかった…




その時 診察室の横に貼られた
【人工内耳】のポスターの意味は
理解出来なかった…




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2015年4月6日月曜日

❸産婦人科で大学病院への紹介状を手渡されたらこうなった…

茶封筒















『お子さんは先天性の難聴です』


そう言われた僕はただぼうぜんと

立ちつくすだけでした…



2015年4月5日日曜日

❷赤ちゃんが産まれた友人に『おめでとう』って素直に言えるか?

赤ちゃんが産まれて『おめでとう』











友人に赤ちゃんが産まれたら

『おめでとう』って素直に言えますか?


赤ちゃんが産まれた友人には『おめでとう!』
『おめでとう!』に対して『ありがとう!』

世間のどこにでもあるごく当たり前の会話

この当たり前の会話が出来ない時期が
僕の人生では一度だけありました




2015年4月4日土曜日

➊ワールドカップサッカーに夢中だった頃のそれまでの僕の人生

サッカーボール
















サッカー少年の憧れ

『ワールドカップに出る事!!』




ー1986年ー

僕が中学生になった年


僕の人生を変えた出来事

メキシコで行われたワールドカップサッカー

神の手

伝説の5人抜きドリブル

そしてワールドカップ優勝!!

少年から大人に変わる僕の心に深く刻まれた
マラドーナのプレイの数々














広島で育ち、広島東洋カープの選手に憧れ

野球少年だった僕を一瞬にしてサッカー少年に

サッカーを夢中にしてくれたプレイの数々

キャプテン翼はマンガの中の世界だった

現実の世界で神業と呼ばれるプレーの数々

プーマのパラメヒコを履けば、誰でもマラドーナ
になれる訳ではなかったがそれを履いた

背番号『10』を背負う事の意味を教えてくれた





-1990年のイタリアワールドカップー

スキラッチの得点感覚の鋭さ

一瞬だけ背番号『19』に憧れた







ー1994年アメリカ大会アジア最終予選ー


『ドーハの悲劇』





キャプテンマークをつけた大学の大先輩を
みんなで応援しながら大学サッカー部の某岳寮の
コンクリートの壁をみんなで叩いて叫んだ…

僕の人生で一番ワールドカップが身近に感じた時



でもあった…




-1998年フランス大会ー

ドーハの悲劇がまだ日本人の記憶に残る中


『ジョホールバルの歓喜!!』



日本代表が初めて本大会に出場した



ー2002年ー

日韓共同開催の記念すべき年

日本中のサッカーフリークが結婚式を挙げた



仲間がプロサッカー選手として活躍

全国でプロサッカー選手を育てる仕事もしている

自分自身もサッカー少年を育てた時期もある



自分が所属したどのチームでも
一番サッカーは下手くそだった

リフティングも大学一下手くそだった

しかし、唯一タテへの飛び出しだけは
負ける気はしなかった

サッカーが大好きだった

サッカー好きの仲間に囲まれ過ごした
日々は素晴らしい経験だった

そんなサッカーに囲まれた人生



もちろん僕の息子にも経験させてあげたかった

一歳の誕生日に贈る予定で用意したのは

『サッカーボール』



休日は、公園で息子とサッカーボールを
蹴る事を楽しみにしていた









そう

産まれてすぐの息子の大学病院での検査結果

が出るまでは

そう思っていた…